竜の巣再建中

七草春花/ハルカテイルズ/HarukaTalesの創作倉庫

星祭りのあと

 4期中頃、ギルドイベントの後日談を、是非とも書かねばならない! と思い立って書いたもの。
 当のリッキーさんには気に入っていただけたようで、何より。

 

 ある晩夏の日、夕方近くのこと。
 リッキーは身の回りの品が詰まった袋を背負い、レトたちが住む家に向かって、見通しの良い平野に伸びる街道をテクテク歩いていた。道沿いには多少の畑地もあるが、その先はほぼ背の低い草が疎らに生える荒野で、視界を遮るものはほとんどない。
 住まいでもある砂船の航行範囲を離れてこんなところを彼女が一人歩いている所以は、先日とある村であった星祭りでの出来事に遡る。いろいろな経緯の末、飛竜の背に乗るという稀有な機会がリッキーの目の前を通り過ぎてしまうということがあり、その埋め合わせのためにとレトが彼女を招いたのである。
 そこで、昨日から駅馬車を乗り継いで最寄りの村までやって来て、そこで一休みしてから、残りの道を歩いているところだ。
 以前一度訪れたことがある、その日干し煉瓦造りの大きな家は、最寄りの村から少し外れたところに建っている。何でそんなところに建てたのか、前回訪れた時に何となく聞いてみたところ「薬品なんかが爆発したりした時に被害が少ないように」と言ってはいたが、本当かどうかは分からない。
 街道を進むことしばし、やがて家とそれを囲う塀が見えてきた。周りに他の建物はないポツンとした一軒家なので、すぐ分かる。
 もう少し近づいて塀の内側が見えるようになると、家の前の庭に一つの人影が見えてくる。住人の一人、イヴだ。この家の住人の中でリッキーと最初に知り合ったのは彼女である。一年ほど前、旅の途中だったイヴがたまたまリッキーの砂船を訪れた時からの付き合いになる。
 イヴは一振りの剣を手に術の形か何かを演じているようだったが、リッキーがやって来るのに気付くと剣を鞘に収めてブンブンッと手を振った。リッキーもブンブンッと手を振り返す。
「イヴの姉さん、こんちはー!」
「リッキーさんいらっしゃーい!」
 イヴも今日リッキーが訪れることは聞いていて、家の中へと案内する。
「訓練のおじゃましちゃいました?」
「ううん、日課の分はとっくに済んでるから大丈夫……レト、リッキーさん来たよー!」
 はいはーい、と奥のほうから声がするがこちらに来る様子はない。少し手を離せないようだ。イヴとリッキーは応接室に向かう。
 この応接室の壁面、以前は飾りっけのない殺風景な部屋だったが、先日の市でリッキーに見繕ってもらったタペストリーなどを掛けたことで、ようやく客人をもてなすのに相応しい見栄えがするようになった。
「あ、早速使ってくれてるんですねっ。思った通り、合うなあ」
「マッカの糸とか生地って赤系統が多いよね。取れる染料の関係?」
「どうなんだろ?」
 カーペットの上には大きめで低い丸テーブルが一つ。その周りには布の端切れを編んで作ったカラフルな座布団がいくつか並んでいる。
 それぞれ座布団の上にぺたんと座ってしばらく雑談などしていると、やがてレトとティスが鍋や大きなトレイを手に応接室に入ってきた。
「リッキーさん、いらっしゃい。お伝えしておいた通り、お腹は空かせてきたかな?」
「はい!」
「それじゃ、順々に持ってきますからね」
「あの、お手伝い……」
 腰を上げかけるリッキーをレトは制す。
「いいのいいの。もう大体出来てるし、何よりお客様にあれこれさせる訳には行かないわ。特に、今回はね」
「埋め合わせ、でしたっけ?」
 クスクス笑いながら、ティスはトレイから料理の盛りつけられた皿をテーブルに置いていく。
「わ、美味しそう!」
 皿からはみ出そうなほど大きな平焼きのパンが何枚かと塩気強めのチーズ、最近農園を営んでいるユルの畑で採れた野菜を使った煮物と漬物とペーストが何種類か。
 イヴが鍋敷きをテーブルの真中にすっと出し、レトはその上に大きな丸鍋を置いて蓋を取った。中には雉肉たっぷりの根菜スープ。
「取り皿も持ってきますね」
「それじゃ私は飲み物を持ってこようか。リッキーさん、お酒でいいのかな?」
「あ、はい!」
 それを聞いて、レトは鼻歌交じりに出ていく。妙に上機嫌なレトの様子にリッキーが小首を傾げると、それに
「ふふ、私もイヴもあまり飲まない方だから。姉さん、うれしいのよ。ほどほどに付き合ってあげてね」
 と答えるティスも楽しげであった。

 

「はい。それじゃ、リッキーさんこの前はごめんなさいの、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
 レトとリッキーの杯には、この辺りの名産という粟の火酒。レトはこれを樽で買って家に置いているが、涼やかな酒器に数杯分を注いできている。酒器のそばには、よく冷えた水の入った水差し。
 ティスとイヴのカップには、すっきりした香りの立つ香草入りの茶。そばには、大きなティーポット。
「さ、遠慮しないで食べてねー、飲んでねー」
「はーい!」
 パンを思い思いにちぎっては、ペーストをつけたりスープに浸したりして口へ。歓談。合間合間にチーズや煮物や漬物に手を付け、笑い、酒や茶で一息。そしてまた次の食べ物に手を伸ばす。
「イヴの姉さんは分かるんだけど、レトの姉さんもずいぶん食べるんだね!」
「あっはは、よく言われる。そういうリッキーさんもね」
「むぐっ。でも、それにしても意外」
「魔法使いっていうのは、ものすごく体力を使うものなのよ。それに、私だってイヴと一緒に武術訓練をしたりするわよ?」
「えっ」
 思わず、驚きが声に出る。
 もちろんリッキーは、胸甲を身に着け飛竜を駆り戦場を翔けるレトの姿を何度か見ている。しかし彼女の武器は、その手が何処からか招く嵐と雷……つまり、魔法ではなかったか。
 そういう驚いた顔は何度も見てきたのだろう、レトはうんうん頷く。
「ああ、あまり人に見せたことはないものね。本職の皆さんに比べたら、そこそこでしかない腕前だし」
「でも、魔法戦士って感じですごいすごい! 武器は何使うの?」
「半槍ね。取り回しがいいし持って歩きやすいし、投げられるし」
「へえー」
「そこそこって言っても、その辺の人よりよっぽど使うけどね、レトは」
「イヴにそう言ってもらえるなら、充分充分」
 改めて、へえーという顔でレトを見るリッキー。人は見かけによらないのか。それなら……
「ティスの姉さんは? 何かそういうことするの?」
「私は、無理。そんな体力はないの」
 流石にティスくらいほっそりとしていると、まるきり見かけ通りのようだ。
 こうして楽しく話をしているうちに用意された料理はあらかた平らげられ、皆のお腹もいっぱい。その後、食後の茶を飲みながらのんびりしつつ宵の口を過ごし、やがて就寝の時間になる。
 来客用の寝室が用意されてはいなかったので、リッキーはイヴの部屋で寝ることになった。そしてあれこれ寝る準備をしながらのこと。
「うちはみんな朝早いけれど、リッキーさん大丈夫?」
「うん、大丈夫……多分」
「あはは。無理はしなくていいけれど、一応起こしに来るわね。起きられたら、いいものが見られるかもね」
「なにそれなにそれ!」
「ふふ、それは明日起きられたらのお楽しみ」
「気になるー!」
「それじゃ、良い子はおやすみなさいね」
 ひらひら手を振って、レトは自室の方に去っていった。
「うわー、何だろ?」
 毛布に包まってごろごろするリッキー。同じく毛布に包まって寝台に横になるイヴ。
「わたしが思ってる通りなら、うん。とってもいいものかな」
「イヴの姉さん知ってるの?」
「知ってるというか……流れからしてあれだろう、って思ってるだけでね。でも言わなーい」
「ええーっ、いじわるだーっ」
「感動を高めてあげてるのっ!」
「感動するようなものなんだ!」
「もうっ、寝ないと起きられないよ?」
「おっとー、そうでしたっ」
 リッキーはごろごろするのをやめると、寝台に上がり込んだ。
「狭いけどごめんねー」
「ううん、大丈夫」
 イヴは枕元の明かりを落とす。
 酒が入っているせいもあるだろう、静かに横になると、リッキーはすぐに寝息を立て始めた。それを見て、イヴも目を閉じた。

 

「はーい、起きてる?」
「ん……」
「起きられそうかな? まだおねむかな?」
「ん、んー……」
 夢現のリッキーには、起こしに来たレトの声がどこか遠くのものに聞こえる。だが、不意に昨夜の言葉が蘇る。
『いいものが見られるかもね』
 その途端、体に、頭に、血が巡る。
「起きる、起きます、今起きましたっ!」
「よーし、結構」
 ぱんぱん、と、レトは拍手する。
 見ると、イヴはもういない。
「ほんとだ。イヴの姉さんもう起きてるんですね」
「イヴは朝の日課をこなした後、ユルさんの農園にお手伝いに行くからね。さて、早速だけど、身支度してね。と言っても着替えて顔を洗うくらい? あ、荷物も持ってきてね。忘れ物のないように」
「? はーい」
 手早く身支度を済ませ、忘れ物がないか確認して、リッキーは外に出た。外はようやく仄明るくなりつつあるところだった。
 レトは、とうに準備を済ませて外で待っていた。
「準備はいい?」
「はーい」
「それじゃ、ついてきてね」
 レトは家の裏手の小高い丘に向かって伸びる細い道に足を進めた。リッキーもそれに続く。
「大丈夫だと思うけれど、まだ暗いから足元に気をつけてね」
「うん」
 道が丘に差し掛かると、傾斜がきつくなる。
 山腹と言える辺りに差し掛かると、辺りが幾らか明るくなってくるのに連れて、丘の上に大きな影が鎮座しているのがはっきり見て取れた。
「あっ! もしかして?」
「ええ、埋め合わせはこっちが本題。今から、帰り道をシャオウで送ってあげる」
 この前の星祭りの時にその背に乗り損ねた、レトの駆る飛竜・シャオウ。滅多にないチャンスを流されたことで、リッキーはとても悔しい思いをしたものだが、改めて乗せてくれるというのなら……
「うわーい! うれしい!」
「はいはい、はしゃぎ過ぎると坂から転げ落ちちゃうよ。もう少し、我慢」
「は、はーい」
 そして、二人は丘の上の平らなところまで登ってきた。リッキーは手を膝につき肩で息をしているが、レトはそのままシャオウの方に近づいてゆく。
「ふふ、流石に息が上がったね?」
「レトの姉さん、何で平気なの……」
「昨日言ったでしょ。魔法使いは、体力が勝負。まだ飛ばないから、休んでいてね」
「は、はひー」
 レトはシャオウの頭のところまで行くと、その顔を右手と右肩でふんわり抱くようにしながら、何かしら話しかけた。リッキーの息が落ち着くまでのしばらくの間、その話は続いていた。
「さて、そろそろ大丈夫?」
「はーい!」
 リッキーもシャオウの方に駆け寄ってくる。
「よろしくね、シャオウ!」
 応えたのか、シャオウはヒョコンと頭を上下に振った。それから、脚を屈めて姿勢を低く取る。
「さて、それじゃ先に乗ってもらいましょうか。鞍から下がってる鐙を掴んで」
「こうかな?」
「じゃ、押し上げるから鞍の後ろの方に乗ってね……よっ」
 レトはリッキーのお尻を押し上げる。それに合わせてリッキーは這い登るようにしてシャオウの背中に乗り、大きな鞍の後ろの方に跨った。
「こんな感じで大丈夫かな?」
「結構。鞍から紐付きの金具が左右二つ、出てるのが見える? ないよりましな程度の命綱だけれど、丈夫なベルトかどこかに掛けておいて」
「……やっぱり、落ちたりする?」
「まさか。でも、何事にも『万が一』はあるもの。そして、それには備えるものよ。怖くなった?」
「う……ちょっと」
「ふふ。ま、私とシャオウを信じてもらうしかないね。ここまで来て、やめないでしょ?」
「それはもちろん!」
「よろしい。それじゃ、っと」
 レトも鐙を掴むと、よじ登ってきた。
「さ、それじゃ行きますよ。しっかり私に捕まっててね」
「はーい!」
 レトがシャオウの背中をポンと軽く叩くと、シャオウは駆け出した。結構揺れる。と思いきや、急に振動がなくなった。
 はっとしてリッキーは視線を下にやる。地面がない! 正確には、地面がずっと遠くにある!
「ほんとに飛んでるー!」
 丘を踏み切った後、風を捉えて滑空し、高くへと舞い上がるシャオウと二人。
「さて。ご感想をひとこと」
「……すごい。それと、不思議」
「ふふっ」
 シャオウはレトたちの家と村の上空を何度か旋回する。
「よし、そろそろリッキーさんのお家に向かいましょうか」
「あ。ティスの姉さんとイヴの姉さんに挨拶」
「大丈夫、このくらい明るくなってれば、見えるでしょう。私の家の方を見て」
 眼下に広がる風景から、リッキーは一生懸命レトの家を探す。比較的大きい家なので、すぐ見つかる。その庭に人影が二つ。こっちに手を振っているのがどうにか見える。
「片手、離しても大丈夫よ」
 レトが言う。リッキーは、どうにか二人に手を振り返して見せた。
「それじゃ、行きましょう」
 シャオウはその頭を東南に向ける。東の空は大分明るくなってきた。
 時々羽撃きつつ、ほとんど滑空でシャオウは風を切って飛ぶ。しばらく飛んでいるとようやく落ち着いてきたのか、リッキーに一つの疑問が浮かぶ。
「レトの姉さん。こんなに速く飛んでるのに、風とかあまり感じないんだけど」
「それは、私とシャオウが結界のようなものを張っているから。もろに風を受けると視界を確保しにくくなるし、冷えるし、吹き飛ばされやすくなるからね」
「そっか」
「疾走感が足りない、とか思った?」
「うん、ちょっと」
「いいでしょ。私のウェストポーチの中にゴーグルがあるから、着けたら教えて」
「えっと、これかな」
 レトの言うとおり、ゴーグルを取り出して着用する」
「レトの姉さん、着けたよ」
「分かった。それじゃ、姿勢をなるべく低くして。シャオウの背中にくっつくくらいに。私のこと、しっかり掴んでね。いい?」
 言いつつレトも姿勢を低くする。リッキーもそれに倣う。
「それじゃ、三……二……一……」
 レトのカウントが終わるや、凄まじい突風が二人を襲う。身構えていなければ吹き飛ばされてもおかしくない。髪に、肌に、風の圧力を強く感じる。馬や砂船をどれだけ速く駆っても、これほどの風に襲われることはない。ゴーグルを着けていなければ目も開けられなかっただろう。
 ほんの数秒のことだったろうか。すぐに突風は止んだ。
「いかが?」
「……よっく分かりました。無理無理!」
「でしょう。あ、そろそろかな。リッキーさん、左を」
「なになに?」
 ゴーグルを外してレトのウェストポーチに戻したリッキーは、左側に目を遣る。
 すると。ちょうど、遥か彼方の地平線から、朝日が昇るところだった。
「朝日……」
 東の端から放たれる陽の光に照らされて、薄明のうちに眠っていた地表の万物がぱっと一どきに色付き目覚める、そんな一瞬。マッカの大地を灼熱で苦しめもするが、夜を破り全てを育む光。
「この前の星祭りとは大分風情が違うけれど、これが見せたかったの。どう?」
「こんな景色、あるんだ……」
 やがて日は昇りきり、地表はすっかり見慣れた乾燥がちの色になる。目覚めの瞬間など忘れたかのように、変化に乏しい景色になる。
「世界が、夜から朝になる一瞬。面白かったでしょ?」
「うん!」
「気に入ってもらえたようで、よかった。これにて埋め合わせは終了。あとは、まっすぐ砂船の近くまで、送り届けまーす」
「お願いしまーす!」
 シャオウは、砂漠目指して空を翔けた。